読書週間ですが、今年は、ミステリーの女王アガサ・クリスティがデビュー100年!の記念イヤーなのです。実は、そのアガサ・クリスティ本人に会ったことがある、という人がいるんです、日本に!!そこで・・・。
「森本毅郎・スタンバイ!」(TBSラジオ、月~金、6:30-8:30)7時35分からは素朴な疑問、気になる現場にせまる「現場にアタック」!!今日11月2日(月)は、『アガサクリスティと会った男、登場!』というテーマで取材をしました。
★実際のアガサクリスティはどんな人だった?
アガサクリスティと会った男、それは、東京都にお住いの数藤康雄さん、御年79歳。まずは、その数藤さんに実際のアガサクリスティはどんな人だったのか、聞きました。
- 数藤康雄さん
- 「全然、上から目線みたいな気配は、まったくないですね。大作家という意識も全然ないですし、だから普通のおばあさんと同じということですね。そのあと、夕食を一緒にして、雑談を一時間したわけですけども、なんていうんですかね、静かに座ってて、ただ、なんかやっぱり私は観察されているような気はしましたんで、そういう意味では、ミス・マープルに似てるんじゃないかという風にちょっと思いましたけどね。で、翌朝は帰るということで、用意して、玄関出たら、クリスティがですね、一冊本をくれたんですね、ペーパーバックの本なんですけど、そこに「to Yasuo Sudo from Agatha Christie 1972.8.11」と書いてある本をくれて、まあ、それが一番感激しましたね、私は。」
48年前、当時、普通のサラリーマンだった数藤さんが31歳、クリスティが82歳という1972年に、なんとクリスティの夏の別宅に招待されて泊まりに行ったんです!
夏の別宅、というのは、ロンドンから4時間くらいの場所にあるグリーンウエイハウスと呼ばれる邸宅。テレビのポアロシリーズの「死者のあやまち」のロケ地としても使用されています。
そこで、夕食を共にし、作品の主人公ミスマープルのような佇まいを実感した数藤さん。帰り際には、娘婿さんの計らいで2ショット写真も撮ってもらったし、特に、自筆で献辞を書いてくれた本を頂いて、いよいよ感激したそうです。
※お写真は数藤さんから送っていただきました。数藤さんの個人的な所有物です。
★そのきっかけはいちゃもんの手紙!?
でも・・・そもそも、ミステリーの女王と、いわば普通のサラリーマンだった数藤さんが、どうして会うことになったのか、気になりますよね??そのきっかけは、こういうことでした。
- 数藤康雄さん
- 「直接のきっかけは、私が大学4年の時に、テープレコーダーを研究してる研究室に所属したんです。それで、ミステリーの中でテープレコーダーがどんな風に使われているかということをちょっと調べて、そしたら最初に出てきたのが、クリスティの『アクロイド殺し』というものなんで。ところが1926年当時は、そのアリバイトリックに使えるような、小型で性能のいいテープレコーダーっていうものはまだ実在してなかったんですね。で、それが分かったもんですから、ちょっとクリスティにいちゃもんつけてやろう!という風なことを思いつきまして。クリスティに、当時はこういう装置は無かったんじゃないか、ということを手紙書いたんですね。まぁ本は別に、そんなに好きというわけじゃなかったんですけど。」
アガサ・クリスティにいちゃもんの手紙を書いたのがきっかけ!!数藤さんは、カセットテープの研究者として黙っていられなかったんですね。
しかし、三週間後、なんとクリスティから「その装置ありましたよ」と返事が来た。いちゃもんの手紙に返事をくれるなんて!とびっくりするやら感激するやら。
この返事で、一気にクリスティのファンになった数藤さんは、ここから、他の作品も読み始めたそうです。(なにせ理系なもので・・・。)
その後も「ミスマープルのモデルはクリスティ、の検証」「日本のクリスティファンの作品ベスト10」など手紙を送り、文通が続きました。
そのやり取りの流れで、「夏休みにロンドンに行くので会えませんか?」と書いたら、「別宅に来るなら一泊、泊めてあげますよ」と招待されて、ついに、会いに行っちゃった!というわけなのです。
その後、せっかくの文通と対面の体験を活かそうと、「クリスティ・ファンクラブ」という同好会も立ち上げるまでになりました。
★誤解が人生を大きく変えた!?
こんなことってあるんですね!でも、この話には続きがあるんです。
- 数藤康雄さん
- 「それにはオチがあって、だいぶ経ってから分かったんですけど、アリバイトリックに「ディクタフォン」というものが使われてるって書いてあるんですね。翻訳ではそれが「録音機」というふうになってましたんで、録音機だからてっきり「テープレコーダー」だと思ったんですね。ディクタフォンっていうのはですね、テープレコーダーみたいに磁気に電気的に音を記録するというものではなくて、レコードみたいに溝を切っていくんですね。だいたい1923年ごろに比較的小さなディクタフォンという機械が発売されていることが分かりまして。だから誤解から完全に出発してたということで。私が優秀な研究者だったら、ちゃんと調べてディクタフォンっていうのはテープレコーダーじゃないということが分かって、クリスティとは全く縁が無かったのかもしれないんですけど、そこで誤解した結果、クリスティに会いに行くまでになった、という・・・まあ面白いですね、人生の面白さみたいなものを感じますね、今はね。」
「アクロイド殺し」の原作では、アリバイトリックに「ディクタフォン」が使われていると書いてある。しかし、これが翻訳では「録音機」となっていたそうで、数藤さんはてっきりテープレコーダーだと思った。その誤解からすべては始まった、というわけなのです。
(ちなみに、私の読んだ『アクロイド殺し』では「録音機」に「ディクタフォン」とルビがふってありました!)
ディクタフォンはテープレコーダーではないですし、アクロイド殺しの出版された1926年には、きちんと発売されているし、いちゃもんをつけるポイントは無かったんです。が、それにしても、本を読んで「あれ?」と思って、興味を惹かれたことで、大きく人生が変わった数藤さん。
みなさんも、人生を変える・・・かもしれない一冊を、秋の夜長にいかがですか?