鎌倉幕府の設立年が、「1192(イイクニ)」から「1185(イイハコ)」に変わったことをご存知の方も多いと思いますが、そんな鎌倉幕府について、9月24日TBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」(月~金、6:30~8:30)の「現場にアタック」で、レポーター田中ひとみが取材報告しました。
いま、鎌倉幕府ではない「大倉幕府」が話題となっています。大倉幕府とは何なのか、日本女子大学の古川元也教授のお話です。
★鎌倉幕府は3つある?!
- 日本女子大学 古川元也教授
- 「鎌倉幕府は、大雑把にいって3つあります。大倉幕府というのは1180年、頼朝が鎌倉に入って屋形をたてます。そこが御所で、幕府として使われ約45年在り続けた。そのあと幕府は何回か場所を変えます。ですから大倉幕府は鎌倉幕府の一番最初の幕府です。そこは非常に日本の歴史にとって、武家政権発祥の地として重要だと思います。」
★「大倉幕府」跡地の上にマンション計画
大倉幕府は、鎌倉・室町・江戸と700年続いた日本の武家社会の一番最初の幕府なので非常に重要な場所ですが、ではなぜ大倉幕府がいま話題なのか。大倉幕府の中にあった源頼朝の邸宅「大倉御所」の跡地が関係しています。再び古川教授のお話。
- 日本女子大学 古川元也教授
- 「マンションの開発許可がいま出てしまっています。そうなると行政発掘という、その場所の遺跡が残らなくなりそうな時は掘らなければいけない。掘って報告書にして記録を残さなければならない。何も出てこなければマンションが建ち、なにか出て来た場合は、新しい展開になって、国とか県とか市が判断して土地を買い上げたり、調査発掘に進んでいく可能性はあると思います。」
私たちは大きく「鎌倉幕府」と呼んでいますが、厳密には少しずつ場所を変えていて、3つの幕府があったんです。その最初の幕府が「大倉幕府」と呼ばれています。頼朝が住んでいた大倉御所があるとされている場所は、現在の「鎌倉市雪ノ下3丁目」付近。その真上にマンションを建てる計画が発表されました。マンションが建つことによって、法律で決められている行政発掘が行われます。もし大倉御所に関する「何か」が発掘されれば、大発見!マンション計画は見直され、さらに詳しい発掘が行われることになります。
鎌倉市は2013年に、世界遺産への登録を逃した経緯がありますが、その時の理由も「頼朝がどこに住んでいたのか、考古学的な証拠がない(建物があったことを示す“遺構”が見つかっていない)」という理由だったので、今回の発掘調査で大倉御所の場所が特定されれば、世界遺産登録にもかなり近づきそうです。
★近隣の発掘調査では“すごいのが出た!”
そうなると問題は、「なにか出てくるか?はたまた、出てこないか?」。実は今回のマンション建設予定地のすぐ近くで発掘調査をしたことがある方がいます。日本考古学協会・理事の馬淵和雄さんのお話です。
- 日本考古学協会・理事 馬淵和雄さん
- 「<span style="color: #213c90″マンションの開発許可がいま出てしまっています。そうなると行政発掘という、その場所の遺跡が残らなくなりそうな時は掘らなければいけない。掘って報告書にして記録を残さなければならない。何も出てこなければマンションが建ち、なにか出て来た場合は、新しい展開になって、国とか県とか市が判断して土地を買い上げたり、調査発掘に進んでいく可能性はあると思います。」
今までしっかりと発掘調査が行われなかったのは、すでに住宅地となってしまっているため、土地を掘ることができず、大規模な発掘ができなかった為だそうです。今回のマンションは2000平米近い土地を掘ることができるため、大いに期待が持てます。
★家の下から茶碗が出た
そして、建設予定地の周辺にお住まいの方にお話を伺ってみると、さらに期待の持てる話が聞けました。
- ●「ここは出てくるでしょうね~、だって頼朝のお墓はすぐそこです。そこの十字路曲がって突き当りが頼朝の墓です。出て来ます、保証しますよ。」
- ●「地名は「雪の下」だけど、地域の名前は「大倉」って言うんです。出て来る必ず。うちもちょっと掘ったらお茶碗とか出て来ました。出てくるんですよどうしても。ここはかなり掘るでしょ?じゃあ出て来ちゃうんじゃないですか。」
周辺にお住まいの方はみなさん「出ると思いますよ」と話してくれました。話を聞いていくと、日本史上の大発見はもうすぐそこ!と思ってしまいますが…
★何もでなかった場合どうなる
もし、万が一「何も出なかった場合、それが問題なんです」と、日本女子大学の古川教授は話してくれました。
- 日本女子大学 古川元也教授
- 「頼朝の御所は寝殿造り(しんでんづくり)だと言われていますので、寝殿造りの池の跡が出てくる可能性もある。なにぶん広い領域なので、建物が建っていない場所に当たってしまうと当然何も出てこない。例えば(今後)隣接地から遺構が出た場合、隣にマンションが建ってしまっていると史跡指定などをする上では問題になる。「出てこなくても意味があるんだ」ということで、残していかなければいけない立場だと思います。それを行政や市民がどう判断するのかということだと思います。」
大倉御所は7万平米の広さだったとされています。今回はその中の2000平米を調査します。鎌倉時代の文献によると、大倉御所には大きな池や、馬場があったとされているので、たまたまマンションの下が、池や馬場だったら、何も出ない可能性も…。そうなると、マンションは建設される予定ですが、本当にそれで良いのか疑問が残る、と古川教授は主張しています。
また、今日の午後、「大倉幕府跡地の保存・活用を考える会」主催の「大倉幕府を巡るフォーラム」が開催され、鎌倉市の担当者も出席して話し合いが行われます。代表の八幡義信さんは、「今回のようなフォーラムは、鎌倉の歴史的価値を後世に伝えていく為にも開催する意義がある」と話していました。