今年に入って50年ぶりに復活した“神田”の名前について、1月22日TBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」(月~金、6:30~8:30)の「現場にアタック」で取材報告しました。
紆余曲折ありながら今年復活したのは、東京千代田区にある「神田猿楽町」と「神田三崎町」です。この2つの町は元々頭に“神田”が付いていましたが、1967年に住居表示の法律が出来たあと“神田”が取り外され、「神田猿楽町」から「猿楽町」に、「神田三崎町」から「三崎町」に変わりました。
今回の“神田”復活の詳しい経緯を、千代田区・コミュニティ総務課の土橋和也さんに伺いました。
★50年ぶりに“神田”地名復活!
- 千代田区・コミュニティ総務課 土橋和也さん
- 「2004年、地域の方から区長などに“神田冠称”の復活要請があり、そこから色々な会議や調査を行い今回の運びになった。具体的には2014年に区議会で可決。その際に付帯決議が出て、丁寧な住民説明や、企業の消耗品などの準備期間として、3年強の猶予期間を開けて実施した。」
2004年に要望が出た際は、やはり町内から賛否両論あったそうです。そんな中、千代田区は2012年に住民意向調査(アンケート)を実施。翌年2013年から住居表示審議会で議論を重ね、2014年に区議会で議決されました。
通常、住居表示の変更は半年~1年程で実施されるそうですが、千代田区は決定後も3年間の猶予期間を設け、今年1月1日に正式復活を遂げています。地域の皆さんの理解促進・認知向上を目的とした、長めの猶予期間を置いた成果か、今のところ大きな混乱はないそうです。
★猶予期間を設け、影響は最小限に
今回の名前の変更について、「神田猿楽町」で皆さんにお話を聞いてみると、概ね受け入れられているようでした。
- ●「元からいる人は“神田”にこだわると思うが、自分世代はあんまり。下町っぽいとかで嫌だと言う人がいても私はなんとも思わない。“猿”って書き直すの面倒くさいくらい。」
- ●「「猿楽町」と言うと渋谷区と言われるので変わって良かった。ここが生まれではないが、地元の人は欲しい名称だったと聞くので良いのかな。」
- ●「すぐそばに勤務しています。住民の希望を優先。「猿楽町」のままでしばらく郵便も届くと言うので、封筒などは使い切ってから作り直そうと思っています。」
名前の変更が決定されてから3年間の猶予期間中、住民懇談会や説明会を開催したり、既に変更に踏み切っていることもあるので、現状は「受け入れている」という声がほとんどでした。渋谷区猿楽町と間違われにくくなるのが助かる、とお話されている方もいらっしゃいました。
★前町会長「粋でいなせな街“神田”を取り戻したい」
こうして、最初の要望から14年が経っての“神田”の名称復活ですが、当初から神田復活への取り組みを行っていた方にお話を伺うと、ここまでの道のりは楽ではなかったそうです。神田猿楽町の前町会長・鎌倉勤さんのお話です。
- 神田猿楽町・前町会長 鎌倉勤さん
- 「従来から住んでいる人は『神田っ子』という思いが強く、町の歴史を大事にしたいと思っている。反対する方は、特にマンションの方だった。僕も最初は反対の人と個別に会ったり、何人かで会って色々と話をした。我慢してください、協力してくださいと…。一生懸命やれば考え直してもらえるだろうと、先人の思いも含めて実現したいと思った。当時署名を集めた人は結構亡くなっているが、神田の地名に対する思いが大きかった。」
鎌倉さんは1972年から神田猿楽町在住。奥さんは生まれも育ちも神田猿楽町で、奥さんのお爺さんは明治時代から猿楽町。夫婦揃っての「神田っ子」でした。もちろん、「町名が変更された今でも、納得していない人も少なからず居るのではないか」と話していましたが、すでに街中の町名の表示板や地図などの変更は行われています。
★マンション住まいも神田っ子も、一体となる時
最後に、鎌倉さんは「今後への思い」を聞かせてくれました。
- 神田猿楽町・前町会長 鎌倉勤さん
- 「我々が“神田”の名前を大事にしていく。一番特徴的なのはお祭りで、私たちの町会は、神田明神の氏子町会として『神田祭』を盛り上げている。マンションの方も、従来の住民と色々な行事を一緒にやっていただければありがたい。そういった中で、『猿楽町に住んで良かった・神田の町に住んで良かった』と思ってていただければ、これ以上嬉しい事はありません。」
蘇った“神田”の誇りを、地域一体となって育てていきたいと仰っていました。