消防は119番、警察は110番、では電話で115番をダイヤルすると、どこに繋がるかご存知でしょうか?
115番は電報。今日は電報についての話題です。『父病気、至急連絡されたし』といった緊急時の定型電報の夜間受付を来年1月をメドに止めることが発表されました。電話で24時間申し込めましたが、午後7時から翌午前8時まで出来なくなります。電話やメールの普及で緊急連絡に使う人が減ったためだそうです。そこで・・・。「森本毅郎・スタンバイ!」(TBSラジオ、月~金、6:30-8:30)7時35分からは素朴な疑問、気になる現場にせまるコーナー「現場にアタック」、毎週金曜日は金曜日恒例サラリーマンの声!!今日9月22日(金)は、レポーター近堂かおりが『最近、電報を利用したことありますか?』をテーマに皆さんにお話を聞いてきました。
金曜日恒例サラリーマンの声 『最近、電報を利用したことありますか?』
★利用してないね~!
- ●「してないです。(最後に使ったのは)全然覚えてない。電報でしょ?電報全然、全く。」
- ●「全然ないです。受けるのもない、送るのもないです。ほぼメール。自ら出したことはないです。」
- ●「してません。私は海外にずっといて2か月前に帰ってきたばかりなんで、向こうから電報も打てなくてね、不便だよね。向こうにいるとね。」
- ●「してないです。うーん、10年以上前ですかね。何だろう?忘れちゃったけど、なんか使ったような気がする。個人的にはほとんどメールになっちゃってますね。メールの方が簡単だからかもしれない。 」
- ●「全然ない、必要性がない。だってもっと早く連絡出来ちゃうじゃん。自分で打つことはまずないですね。」
やっぱり、メールやLINEの方が早いですよから、そちらを使いますよね!そもそも電報というシステムがまだあるのが不思議なくらい。今はそんな時代じゃないのかな?と思ったのですが、一方でこんな声もありました。
★セレモニーは電報でしょ!
- ●「会社間での取引先くらいでしかやってないですね。弔電が多いですけど、あとは社員の祝電。昔ながらの習慣を一応守ってる感じなので、年賀状に近いんですかね。」
- ●「祝電と弔電くらいですね。会社の付き合いでというか、それくらいです。儀式じゃないけど、礼儀というか義理を果たすような感じ、取引先と。通例というか当たり前のこと、みたいな感じ。会社にもよると思うけど、ウチの会社は結構古い会社なんでそういうシキタリみたいなものは守っていくと思う、これからも。」
- ●「電報、自分で?自分では使ってないですね。結婚式では頼んで送ってもらったりするけど、会社から個人宛に。最近でもやっています。だって結婚式の時に読まれるじゃないですか、電報を読みますとか言って。お葬式とかもあるでしょ。葬式とか冠婚葬祭の時は電報じゃないですかね。セレモニーは使う。LINEとかじゃなくて、葬式の時にLINEで頂きましたはおかしいよね。」
確かにお悔やみの言葉をLINEで送られても・・・ねぇ。やっぱり慶弔に関する言葉は電報がしっくりきますよね。セレモニーですから。それにしても祝電・弔電はビジネスの場では健在なんですね!慶弔などに使う通常の電報はネットで24時間受付けていますが、こちらも午後7時以降の電話での受付けも止めてしまそうです。電報打つのも電話ではなくネット、の時代なのです。そんな中、昔話をしてくれたお父さんがいました。
★上野のウ、ローマのロ、新聞のシ、保険のホ!!
- ●「私は昔、秘書みたいのをやっていたから、例えば、”二郎”だったら漢数字の二、ローマのロ、上野のウとかね、あるじゃない、間違えないように電話で。そういう風に言えば向こうも間違えないわけですよ。英語だとTOKYOのTとか言うじゃない、それと一緒でアイウエオ全部あるんですよ。上野のウ、ローマのロ、新聞のシ、保険のホ、そういうのは覚えたね。今もあると思うけどね、オペレーターの人がそれで受けると思うよ、復唱する時は。知らないの?今、メールだもんね。メールとかそういうのでやっちゃうから、あんまり打たないよね。だから結婚式とか
弔電はやるけど、それ以外はほとんどないね。『父危篤帰れ』とか言わないじゃん、今。『出産』とかね、今メールか電話だからね、携帯電話あるからね。」
電話で文章を伝えるのも大変!間違えないように、上野のウ、ローマのロ、と、今でも覚えているのです!このお父さん、電話がなかった学生時代に『金送れ』と親に電報を打ち、怒られたそうです。今なら電話、もしくはメール・LINEで、すぐに援助をお願いできますが、当時は電報じゃなかったら手紙でしょ?時間がかかりますものね。本当に便利な時代になりました!では最後にこんな声がありました。
★電報が人生の道を開きました!
- ●「もう30何年前に合格通知を貰ったことがある。青年海外協力隊の合格通知。(電報で?)今は知らないよ、当時は。僕はガーナ。建築だったから向こうで現場監督をやっていた。仕事を辞めてすぐに行きたかったけど、説明会に行ったら資格を持ってないとダメと言われて、一級建築士とってすぐ試験を受けて行った。協力隊は基本的に2年。みんな技術を持ってる人は出稼ぎに行っちゃうからいないんですよ。そのいない人の穴埋めにうちらが入った。100%ガーナ人を使って外人一人で現場監督やった。社会保険庁のビルで大きいけど資材がないから建たないの。外貨がないから鉄筋とかセメント輸入出来ないじゃない。だからワーカーはいるけど建設資材が輸入出来ないから1年で1フロア。(いる間に)出来なかった。もうはるか昔の話だよね。それで人生変わって、だから電報が道を開いた。」
青年海外協力隊でガーナに!すごいですね!!ちなみに当時、現場監督をした社会保険庁のビルは、後任の方が無事に完成させたそうです。6階建ての予定が4階建てになったそうですが・・・。いずれにしても、たった一通の電報が本当に道を開きいたのは確か。思い出の電報です。みなさんにも記憶に残る電報、ありますか??