新型コロナで暮らしがさまざま変わりましたが、今、全国各地の博物館が、そうした暮らしの変化を示す資料を集めています。実はこの動きは様々な反省に基づいて始められたものだということ。そこで・・・。
「森本毅郎・スタンバイ!」(TBSラジオ、月~金、6:30-8:30)7時35分からは素朴な疑問、気になる現場にせまる「現場にアタック」!!今日2月1日(月)は、『反省を活かして正確に伝えたい。~博物館のコロナ関連資料収集』というテーマで取材しました。
★東日本大震災のときの反省を活かしたい
まずは岩手県立博物館。専門学芸調査員の目時和哉さんに、なぜ収集を始めたのか、伺いました。
- 目時和哉さん
- 「例えば手書きの張り紙ですとか、印刷物等が、日々生まれては消えていくのを目にするにつけて、これは速やかに積極的に収集していかなければ失われてしまうということで、収集を開始した次第でした。私自身、震災直後、沿岸部の博物館の救援に携わっていたんですが、資料を集める余力が全くなかった、と。県外の博物館に物を貸出しするときに、例えば津波で折れ曲がった日用品などがあれば被害の大きさをリアルに伝えられるんだけど、というようなご要望いただくんですが、そういうのが現在は無い状況ですね。あの、同じような反省は繰り返したくないな、ということで、動き出していたところです。岩手県では日本での発生から半年近く感染者がゼロという独特な経過を辿った県ですので、そういうのをきちっと伝えられるように、当時の資料についても集めていきたい、という風に考えております。」
東日本大震災のときに、資料を集める余力がなく、暮らしがどうだったのか、物語る資料がほぼ収集できてなくて、今も資料の貸出しの際など、他県からのリクエストに応えられないことがあり、非常に残念に思っている。その反省を繰り返したくない、という思いから、今回は早めから収集を開始した目時さんたち岩手県立博物館。
特に、岩手県は、日本での感染が広がる中、半年近く感染者がゼロでしたよね。そんな岩手県のコロナ関連資料は、日本の中でも、他とは違った価値のものになりそう。集めているのは、チラシやポスターなど身近なものから、マスクをつけた人が写った写真なども多く収集しており、日常がマスクに覆われた日々がしっかりと残っていきそうです。
★珍しくないものが、記憶を固定する!?
続いて、「モノで記憶を固定化していくことが博物館としては大事だと思っています」と話す北海道は十勝地方、浦幌町立博物館の学芸員、持田誠さんに、聞きました。なぜ、チラシなど、身の回りの、珍しくないものを集めるんですか?
- 持田誠さん
- 「一番多い反応はこんなものを博物館でわざわざ集めるんですか?っていうことなんですよね。マスクがまず店頭から消えて、お店に『マスクありません』っていう張り紙が張られるようになって、その張り紙も集めてるんですけど、縫物が得意な人が、マスクの作り方を自分でイラストでチラシにして、そっと郵便局のATMの横とかに積んで回ったりっていうことがうちの町ではあって、そういった手作りマスクの作り方の手書きのビラとかですね、当時の非常に切迫した、困惑した空気感が伝わる資料だなと思っています。あともう一つは『私はナンバープレート東京ですけども函館に住んでいますよ』ということを証明するこういったシールをみんなナンバープレートの横に貼り出したっていうもので、感染症のようなものが起こると、どうしてもそういった差別や偏見というものが生まれやすいっていう風なことは、昔から言われていて、ま、実際に現実社会でどういった差別偏見現象が起きているか、っていうことを知る貴重な資料だと思っています。」
持田さんたち浦幌町立博物館では、町の経済活動の変遷の資料のために、新聞の折込チラシを20年位前から収集してきました。そのチラシの内容が、特売のお知らせが減って、イベントの中止のお知らせがどんどん増えてきた。そこで、これは大きな変化になるかもしれない、と、コロナ関連資料を集め始めました。
集めているのは、手作りマスクや、その作り方を描いたチラシ。地元の酒蔵が作った消毒液。身近なものは変わる生活の空気感や、その中で人々がどう対応したのか、を示す資料となる。
そして、「函館在住」というのシール。(岩手県立博物館の目時さんも「岩手在住」というシールを保存していると話していました。)文献にある、感染症が流行ると差別偏見が生まれやすい、という記述が、現実にこの時も差別が起きた、と、目に見える形で伝えることができる資料となるのです。
確かに、すでに一年前の街の様子は・・・曖昧になってきています。そうなったとき、これらの身近なものが記憶を固定してくれそうですよね。
★スペイン風邪のときの反省を活かし、実生活の記録を残せ!
浦幌町立博物館の持田さんは、「博物館、というとどうしても古い昔のものを集めてるイメージがありますよね、でも今この瞬間もどんどん昔になっていくのです。」と話していましたが、つまり、それはこういうことなのです。
- 持田誠さん
- 「例えば戦争中に『ぜいたくは敵だ』ってポスターみたいなものを、当時、写真とかモノで集めてる人がいたおかげで、今我々は知ることができるわけですね。その民衆史というか、こういったコロナみたいな大きな疫病が世界的に流行したんだぞ、ということは、色んな本にこれから書かれていくと思うんですけど、じゃあ、その時代を市井の人々がどうやって乗り切ったのか、っていう実生活の記録っていうのは、実はなかなか残らないんですよね。スペイン風邪が100年前にありましたけども、その時がまさにそうで、あの大流行は色んな歴史書に載っているんですけども、当時の人々がどうやってあれを乗り切ったのか、っていう暮らしの様子っていうのが実は伝わっていないんですね。これを非常に問題視したのがイギリスの博物館で、こういった時代こそ、ちゃんと歴史に記録が残るような人々の暮らしに目を向けなければいけない、っていう風な活動を始めていたんですけれども、日本でも今回は、そういった取り組みに進んで乗り出している博物館が全国にたくさんあります。」
100年前のスペイン風邪は、博物館の方は皆さん、うちの館には資料が無いのかな?と探したと聞きますが、ほぼ存在しないとか。しかし、今回のコロナに関しては、全国的な収集で、地域性が出たり、いかに大きな感染症だったかも分かる。
また、将来同じような疾病が流行した時の対策に役立つ資料にもなる。期間も長く、日々がグラデーションのように変化していくコロナ禍。「日々作られては失われていく資料なので、捨てられてしまうと二度と手に入らないから。」「不要なら未来の人に捨ててもらう。」と話したお二人が、非常に印象的でした。