アメリカで人種差別への抗議、ブラック・ライブズ・マターが広がり、大統領選にも影響しています。日本でも関連のニュースが報道が続きますが、 9月2日TBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」(月~金、6:30~8:30)の「現場にアタック」で取材報告しました。
今回は、抗議デモに参加したサンフランシスコ在住の男性にお話を伺いました。日本生まれで国籍はアメリカ人の、リチャード・クーさんのお話です。
★BLM抗議デモ
- リチャード・クー さん
- 「 私が参加したのが、5月末のジョージ・フロイド氏が警官に殺された事件の後の抗議デモでしたね。ちょうどアパートが警察本署の隣だったので、デモが数日間、私のアパートの周りを通り過ぎ、自分が実際デモに参加したのが二日目でしたね。自分としては、アメリカに引っ越しして12年になるんですけど、本当に数々のデモ活動を身近に見ることが出来て、今回のデモは、やはり人々の怒りを本当に肌で感じることができました。地域が遠いとはいえ、そのアフリカ系アメリカ人が今直面している人種差別は全国で起きている事なので、皆さんがそれに怒りを持っているところが、地域が遠くても感じることができました 」
クーさんは、台湾系アメリカ人の両親の間に、日本で生まれ育ち、18歳の時にアメリカに引っ越し、現在、ベンチャー関連のお仕事をしています。アイデンティティは台湾人、国籍はアメリカ、故郷は東京、という方です。
こうした背景もあり、人種差別の問題には関心が高く、5月末、中西部のミネソタ州で、ジョージ・フロイドさんが、警察の暴力で死亡した事件の後、サンフランシスコでのデモに参加しました。ミネソタ州からは遠く離れていましたが、繰り返される警察による残虐行為への怒りを強く感じたそうです。
クーさんによれば、SNSがなかった頃は、フロイドさんが受けたような残虐行為も、人目に触れにくく、日常的に差別が繰り返されていたそうですが、今は、SNSで発信し、またSNSで繋がって抗議行動できるのが大きいということでした。
★スポーツ界のBLM抗議行動
では、BLM=ブラック・ライブズ・マターで社会はどれだけ変わるのか?クーさんは歯痒さも感じていました。
- リチャード・クー さん
- 「 根本的に差別をなくすっていうのは非常に難しい問題だと思う一方、例えばスポーツの例を見てると、2、3年前にNFLのコリン・キャパニックという選手が警察の残虐に対するそのプロテストとして「国歌」の時に、膝を付けたっていうことがすごく大きなニュースになったんですが、それでもってもう本当に政治家もばんばんばんばんコリン・キャパニックを批判したんですが、今NBAの試合を見てると、選手みんな膝を床につけてるというところが見えてきてるので、社会的に、こういう残虐的な行動はもう許されないということが、だんだん徐々になってきてるんではないかと僕は思います。ただBLMが始まったのは今年の5月ではなくて、ここ4年、それほど変わってないなっていう気も少しあります 」
Black llives Matter=BLMが始まったのは、2016年、アメフトのコリン・キャパニック選手が国歌斉唱の時に、人種差別への抗議を込めて、地面に膝をつけたのが始まり。当時、大部分の選手はこの抗議への理解を拒み、キャパニック選手は社会的にも批判にさらされましたが、最近では、国歌斉唱の時に膝をつく選手は多くなっているので、それくらいには、社会は変わったと。ただ、4年も経ったのに、まだこの程度しか変わっていないとも言える、いうことでした。
では台湾人だとしているクーさん自身、現地で差別を感じることはあるのか伺ってみると、こんな答えが返ってきました。
★日本にとっても自分事
- リチャード・クー さん
- 「 僕の業界でも黒人の企業家、投資家が非常に少ない。なので日常的な差別、かつキャリアにおいての差別というのは、日々感じることがあります。逆に僕が日本に帰る時は、僕は日本人ではないんだなっていうところが、すごく肌で感じます。生まれ育ちは日本でありながらも、たまに僕の名前を見て日本人ではないんだね、日本語もあまりよくないので、日本語うまくないのねという経験もあるので、アメリカはすごく多様性がある国なので、才能があれば受け入れられる社会なので、逆にそういう意味で、自分は多少浮いてるなと感じることはありますね 」
アメリカで起きている残虐な差別とは異なりますが、故郷だと思っている日本に帰ってきたときに、アメリカでは感じない「浮いている気持ち」を感じることがあるということでした。