もうすぐ東日本大震災から8年になりますが、そうした中、震災を様々な角度から描いた映画の上映が広がっています。そこで、その中のいくつかに注目。「森本毅郎・スタンバイ!」(TBSラジオ、月~金、6:30-8:30)、3月6日(水)の「現場にアタック」で、レポーターの近堂かおりが取材報告しました。
★江古田映画祭~3・11福島を忘れない
まずは、震災と原発関連のドキュメンタリーを上演して8回目。『江古田映画祭~3・11福島を忘れない』について、上映の狙いと今年の特徴を江古田映画祭実行委員会の事務局長、田島和夫さんに伺いました。
- 田島和夫さん
- 「福島原発事故によって、すごい大きな被害があって、原発の周辺の方が大変な思いをされているわけですが、元を言えばですね、福島原発で発電した電気というのは、東京関東圏で使われた電気ということで、ある意味では、東京都民のせいによって、大きな被害を、福島の人たちがかぶってしまったということを、私たちは認識して行かなきゃいけないという思いもあって、映画祭をやっています。今までもう100本以上上映していますが、今回特徴的な感じとしては、原発事故後に新しい社会的な動きが出てきておりまして、未来に向けての新しい世の中を作っていくようなことを紹介した映画もでき始めている。」
『江古田映画祭』は、東京の江古田にある武蔵大学と、その向かいで田島さんが経営する『ギャラリー古藤』で、今月14日まで開催中の映画祭。第8回の今回は、新旧15の映画を選びました。
初期の頃は、原発事故の衝撃やデモ行動などがテーマの映画が多かったようですが、震災から8年が過ぎた今年は、全国で広がるユニークな再生可能エネルギーを取材した作品『おだやかな革命』や、持続可能エネルギーへの挑戦を続ける国に学ぶ『モルゲン、明日』など、未来志向のものが増えてきているということでした。
田島さんは、福島を忘れないという気持ちが強く、原発・エネルギー問題に力が入っている『江古田映画祭』でした。
★星に語りて~Starry Sky~
続いては、障害者からの視点で東日本大震災を映画化した作品。障害者支援団体「きょうされん」制作の『星に語りて~Starry Sky~』という映画なのですが、被災地を取材し、この映画を監督した松本動さんに、その内容を伺いました。
- 松本動さん
- 「一番今回取り上げているところは、支援をしようと避難所に行ったら、障害者の方がほとんどいない。いろいろ探したら、実は一度避難所には行ったんだけども、白い目で見られたり、それによって半壊になった自宅に戻った方もいましたし、出かけなかった人もいるんです、どうせそういうところへ行っても周りに迷惑をかけると思ってしまう方とか、視覚障害の方だと、張り紙ばっかりだとわからない、トイレに行くまでもどこに人がいるかわからないと、そういう状況だったら半壊した家で避難生活送っていた方がいいよって戻った方もいらっしゃった、そういう状況であったということがわかった。」
例えば混雑した避難所で車椅子は迷惑ではと気を使ったり、例えば障害を持つお子さんが突然大きな声を出し、周囲の目で居づらくなったり・・・そうした理由から自宅や車の中で過ごしており、避難所にはいなかったのです。また、支援者が自宅へ助けに行こうにも、自宅の住所がわからない、自治体は”個人情報だから”と、なかなか教えてくれない、そして時間が過ぎていく、ということもあったそうです。その時間が、とても悔しいと、松本監督は話していました。

映画『星に語りて』(「きょうされん」のHPから)
その後、個人情報の問題については、この映画で描かれているこうした出来事がきっかけで、災害対策基本法の改正が行われ、震災時の情報開示は行われるようになりました。ただ、松本監督は、「まだまだ状況は変わっていない」として、「この事実を知って欲しいと同時に、今後の自分のこととしても考えてほしい」、と話します。
★災害が無くなることはないから活かしてほしい
松本動さん
- 「障害のある方たちがどういう状態に置かれていたんだろうか、当時の実情を知っていただきたい、そしてこれから起こりうる、震災の時にどうしたらいいか考えてもらいたい。それで、みなさん気づいていないだけで、誰でもいつ障害をもつかわからないんです。それは病気や事故で障害をもつ可能性もありますし、健康である人も、年を取るとともに何かしら障害が出てくるんですよ。気づいていないだけなんです。だからこの映画は障害のある方たちを描いているだけでなくて、障害がない方もいずれ自分の身に起こることですよということも伝えたい、みなさんの未来のありようも描いている。」
自分の問題として考えられるかどうか・・・も、大事なポイント。誰もが老いていくわけですし、災害は無くなることはありませんからね。
この『星に語りて~Starry Sky~』は、東京では、3月10日の10時から、吉祥寺の映画館『アップリンク』で先行上映された後、4月から本格上映。全国では今月から自主上映していく予定です。
自主上映のスケジュールは→ http://www.kyosaren.or.jp/starrysky/#schegule
★福島の盆踊りをマウイ島で保存。『盆唄』
おしまいにもう1つ、今度は、故郷に伝わる盆踊りの歌【盆唄】をどう残すのかを追ったドキュメンタリー作品、『盆唄』という映画が話題になっています。
原発事故で帰還困難区域となってしまった福島県双葉町の出身で、県内で避難生活を送る横山久勝さん。今は地元の仲間とはバラバラ、廃炉が終わるまで最低30年、自分が生きている間に故郷の双葉に帰れるかわからない。このままでは、遠い将来、町に帰れるようになった頃には故郷の祭りも盆唄も消えてしまうに違いない。何とか残したいと困っていた横山さん、なんとハワイで、『盆唄を残すのはここだ!』と思ったそうです。
- 横山久勝さん
- 「マウイ島で福島音頭っていう盆唄をやっていたんです。だいたい130年くらい前に福島から移民した人が、そちらで始まったみたいです。それをずっと日系の文化として保ってきたんですね。盆ダンスっていうんですけど、とにかく踊る人も演奏する人も歌う人も一生懸命なんですね。ここなら残せるかなっていう感じで、代表の方と話し、30年後に双葉が帰還困難区域解除になった場合に、我々の年代は生きていないので、その時に、マウイ島の方から、双葉の方に、もともとの盆唄はこういうものですよって戻してくださいと、お願いしたんです。」
横山さんは、始めは避難先の町で盆唄を残そうとしたのですが、避難先には避難先の盆唄があり、それはできない。それで困っていたのです。
そうした中、交流事業で行ったハワイで出会ったのが、マウイの『盆ダンス』の人たち。福島の盆踊りが100年以上守られて、マウイに存在していたんです!日本では、照れくさくて輪に入って踊る人はなかなかいないこともあるけれど、ハワイの人たちは、きちんと浴衣を着て積極的に『盆ダンス』していたので、ここだ!と嬉しくなったそう。
そして、盆唄の保存伝承をお願いしたら、喜んで引き受けてくれたため、演奏、歌、踊りを指導し、きちんと伝えたそうです。
★福島からの移民が多いマウイだから
ここで縁があったのは、マウイには福島からの移民がとても多かったこと。その影響で『盆ダンス』が伝わっていたのですが、その福島からの移民が多い、ということが、また避難生活中の横山さんに影響を与えたそうです。
- 横山久勝さん
- 「マウイ島に行って、日系移民のことも勉強しました。重なる部分はいっぱいあります。初代ですね、1世の方がハワイに行って、生活の基盤を大変な中で作って、今の3世、4世があるわけですけど、我々それに比べれば、同じ日本ですからね。避難していますけど。ここから戻れるかどうかわからないですけど、それに比べれば、楽かなという気はしますけどね。自分でも気がつかなかったんですけど、振り返ってみると、年数がたったというのもあるんですけど、映画に参加して、ちょっと、明るくなったかなって気がしますね」

『盆唄』の中での横山久勝さん
国の施策の影響で故郷を離れ、苦労を重ねた方たちの100年後の姿に励まされた横山さん。過去を振り返ったり、今で手一杯だったりではなく、故郷の未来を考える中で変化があったそうです。
こちらの『盆唄』は、東京のテアトル新宿などで、ただいま上映中です。
公開予定はこちら→ http://www.bitters.co.jp/bon-uta/theater.html

近堂かおりが「現場にアタック」で取材リポートしました。