関東はまだ梅雨入りの発表はありませんが、いよいよ雨の時期で、傘の出番が増えてきます。そんな中、最近、みなさんの傘の選び方に変化を感じている、という声を聞ました。そこで・・・。
「森本毅郎・スタンバイ!」(TBSラジオ、月~金、6:30-8:30)7時35分からは素朴な疑問、気になる現場にせまる「現場にアタック」!!今日6月7日(月)は、『傘の選び方に変化?使い捨てじゃないビニール傘も!』というテーマで取材しました。
★良い傘を長く使いたい人が増えました!
世界最大級の傘の専門店「ウオーターフロント」を展開している会社「シューズコレクション」の傘ソムリエ・土屋博勇喜さんのお話です。。
- 土屋博勇喜さん
- 「お客様のお買い求めいただく単価の額が増えた気がします。良い傘を買って、長く使って、おしゃれをしたい、っていう声に変わって来てるんですね。こういうコロナ禍やテレワーク、色んな社会情勢が変わってきた中で、消費といいますか、モノの価値、傘の価値も変わって来てるな、というのは感じます。ビニール傘じゃなくて、長く使える傘を持ちたいね、っていうのもお客様の声でだんだん増えてきていまして、とりあえずっていうのがなくなってきたんですね。とりあえず買おう、しのげればいいやみたいな。考えられる要因としては、SDGsがすごく根付いて来たかな、というのがあります。ま、例えば年間1憶3千万本の傘のうち、8千万本がビニール傘なんですよ、その8千万本の行き場は何?っていう話になると思うんですよ。駅に放置されていたり、道端に捨てられているんですよ。そういうところで関心が変わったのかな、と思います。」
お客さんが傘にかけるお金が増えたんです!出かける機会が減ったからこそ、せっかく出かけるならばお気に入りの傘で、と思う人が多いみたい、と土屋さん。
また、SDGsが根付いてきたのか、サステナブルという意識が高まり、使い捨てのビニール傘をやめて、いい傘を長く使いたいと考える人が増えたようだ、と。ここ一年で、一気に加速した傾向だそうです。(SDGsの12番目の目標の中に「廃棄物を減らし持続可能な生産消費を」)
それにしても年間の傘の消費のうち、8千万本がビニール傘、という数字には驚きました。
★修理して10年使えるビニール傘!
しかし、うちのビニール傘は使い捨てではありません!という会社が。世界で初めてビニール傘を作った、日本唯一のビニール傘メーカー、東京都台東区にあるホワイトローズ株式会社の社長・須藤宰さんのお話です。
- 須藤宰さん
- 「はっきり言って、一般のビニール傘とはまったく違うものですので、あらゆる場所に工夫が加わっていて、なおかつ、うちの傘には、透明の部分に穴が開いているんですね。内側から風が吹き上げてくると、その穴から風が通り抜けるんですが、外からは雨が入ってこないという、特許になっております。それから、とにかく前が見えるっていうのが、一番の安全ですので、樹脂フィルムの透明度も高いと思います。基本的に傘は修理できないといけないと考えているもんですから、骨も一本一本全部取り替えられるようになっておりますので、(ビニール傘っていわない方がいい?)ただ、ビニール傘っていう言葉自体もウチが考えた言葉なので、なかなかやめられないんですね。いや、いいですよ、私どもも今は「高級透明フィルム傘」という風に表示するようにしていますけどね。まあ、親父が草場の陰で怒ってるかもしれませんね(笑)。」
修理できる高級ビニール傘??こちらのビニール傘は、職人さんが作るもので、とにかく丈夫で長持ち!価格は一万円前後と高級ですが、全ての傘が修理可能です。だいたい10年使って一回修理、くらいだそうです。
こちらの会社は、江戸時代、享保6年(1721年)創業の老舗。なんと創業300年!元々はたばこの卸でしたが、たばこの葉を保存する油紙で雨合羽を作り、それが参勤交代の御武家様たちに大人気に!その後、合羽屋から雨具屋に転身して蛇の目や番傘、明治時代には人力車の幌など雨に関わるものを手掛けてきました。
そして戦後、当時の雨傘は素材が綿。綿の傘は雨が染みやすくて、雨漏りしたり色移りもあった。そこで、須藤さんのお父さんである9代目が、進駐軍が持ち込んだビニール素材に着目し、傘が濡れないように、傘を覆う傘カバーをビニールで作って、これが大ヒット!それならば、傘の骨に直接ビニールを張れば、雨漏りしない完璧な傘ができる!と開発に取り組み、この世に世界初のビニール傘が誕生したのです。
★世界初のプライド!国内唯一のビニール傘メーカー!
しかし、40年前くらいからは、ビニール傘はほとんど海外で安く作られるようになり、それからは、国内でビニール傘を作っても、全く売れない時代になってしまいました。回りの同業者は次々に廃業・・・、しかし須藤さんはあきらめませんでした。
- 須藤宰さん
- 「やっぱり、最初にビニール傘を作った会社というプライドがあるので、ウチが辞めちゃったらもうゼロなっちゃうというのがどうしても耐えられない、という点もあったんですが、ビニール傘を作っては飯が食えないので、シャワーカーテン作ったり、照明用の傘作ったり、なんとか生き延びたという感じですね。結局ビニール傘を作ること自体はやめなかったもんですから、お一人お二人という形で、世の中には、透明で丈夫な傘が欲しい人が他にもいるかもしれないな、ということで、それに取り組んだんですね。まあ、私どもの傘は、ただの透明の傘ですから、値段も高いし、柄もないし、色もないし、最初にお金を出して頂くきっかけを作るための要素が全く備わってないんですけれども、使って頂いたらば、いつの間にか、毎回、雨の時はこの傘使っちゃってるな、と、そういう風に思って頂けるような傘を作ろうとしてるんですね。」
選挙カーの上で演説する政治家が欲しがったのは、壊れない丈夫なビニール傘。お墓の前で読経するお坊さんは、お線香までカバーできる大きくて透明なもの。宮内庁から注文が入って、当時の美智子皇后が園遊会でお使いになったこともありました。そのように、細かなニーズに応えているうちに、技術は上がり、次第に知られていきました。
- 「雨の日は暗くてただでさえ見通しが悪いのに、わざわざ目の前にカーテンみたいなものをぶら下げなくてもいいのではないか、と思うんです。」
と須藤さんに言われたときは、たしかに!と妙に納得してしまいました。
最近では、須藤さんのお店でも、若い人も長く使える傘が欲しいと言う人が増えているそうですから、傘の選び方は変わってきているのかもしれませんね。